病と歩む
マルクがまだ元気だった頃、私が恐れていたこと。
それはマルクの不治の病の宣告をされること。
病で命の終わりを覚悟すること。
宣告を受けることでそれまでの暮らしが180度変わってしまうと思っていました。
でも2010年1月12日にマルクの拡張型心筋症を告げられてみると
それは昨日の続きの今日の出来事。
そして明日も今日の続き。
病院へ通い、薬をもらい、服用させる、ちょっと今までと違った事が増えるだけで、
マルクは昨日と何も変わらない表情で過ごしていました。
そして今日も明日も明後日も、彼自身は少しも変わらない。
彼の身体は少しずつ変化しても、本質は何も変わらないんだと気付きました。
ならば身体の変化にケアをするだけ。
いつか必ずやってくる別れのその時まで、
マルクがマルクらしく生きれるよう、私も変わらずに居ようと思いました。
それは私が彼を失う恐怖によって心折れずにいられる支えでもありました。
思えば、死という概念のない犬の強さに支えられた1年4カ月の看病生活でした。
(私は闘病って言葉は最後まで好きになれませんでした。
病は憎らしいけど、それも彼の身体の一部だから。
受け入れて苦痛を和らげるためのケアをすることに“闘う”という言葉が
しっくりこなかったからです。)
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